『 何たコレ ! ? ミステリー 』 が伊豆大島の風習 「 ヒイミサマの祟り」
( 1 月 2 4 日の夜に海を見てはいけない ) 」 を特集しました。
この記事では、日忌さま伝説について調べていきたいと思います。
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1月24日の夜に、海を絶対に見てはいけない村 「伊豆大島」
番組内では、1月24日の夜には海を絶対に見てはいけない村として、伊豆大島の泉津(せんず)という村に行きました。
その村の方々は1月24日には、3時頃までに仕事を終わらせて帰るそうです。
禁忌を破ると、身内に事故が起きたり怪我したり、病気になったりすると伝わっているそうです。
街のインタビューで、「海を見ると死んじゃうから、あなた見ない方がいいよ」と通りすがりのおじいさんが言っていました。
その方は、民宿(民宿 おくやま荘 / 釣宿)を経営しているようですが、その日はお客をを取らないのだそうです。
1月24日の夜に海を見てはいけないその理由は?
1月24日は、日忌さま(ひいみさま)の祟りを恐れる日だからだそうです。
祟りを避けるために、この夜は外には出ないで家にこもるそうです。
当日の町の様子は、各家のカーテンのない窓には、新聞紙が貼られ、間違って外を見ないように対策がされている。
家の周りを海水で清めて、玄関にはカマを置くという。
その夜は、役所から「夜の撮影は控えて欲しい」と言われたので、番組スタッフも撮影を控えました。
役所から要望があるというくらいに、根強く浸透している風習なのです。
日忌さまとは何なのでしょう?
村の人の話によると、
日忌さまの正体とは、その泉津(せんず)に住んでいた25人の若者のことだそうです。
島で政治をやっていた人が、年貢が厳しくて、25人の若者が直訴しに行ったがダメだったので、その人たちが役人を殺してしまった。
その若者たちは、大木を切って船を造り別の島へ行ったが、罪人である若者たちを受け入れる島はなく、そのまま海で命を落としたという伝説があるそうです。
それが1月24日だったということで、その日には若者たちの霊が島に戻ってくると言い伝えれてきたそうです。
その一方で、村のために行った行動で命を落とした若者たちを憐れみ、25人の霊が戻ってこれるように祠を建てて、今でも大切に守っているそうです。
ここまでがテレビでの情報です。
ネットの情報ではどうでしょうか?
海難法師=日忌さま
海難法師は、日忌さまの別名
海難法師(かいなんほうし)の伝説
伊豆大島には、海難法師(かいなんほうし)の伝説があるようです。
海難法師
海難法師(かいなんほうし)とは、伊豆七島に伝わる幽霊の一種。
地元では“かんなんぼうし”と呼ばれる。
水難事故で死亡した者の霊とされる。
たらいに乗って沖からやって来て、その姿を見たものは同様の死に様を晒すと言われている。
< 起源 >
海難法師の事の起こりは江戸時代、寛永5年のことである。
豊島忠松(とよしまただまつ、豊島作十郎。)という悪代官(八丈島代官)が島民たちを苦しめて、憎まれていたという。
そこで島の人々は忠松を殺すために、わざと海が荒れる日を選んで島巡りをするように勧めたのである。まんまと罠にはまった忠松は、言われた通りに海に出て波に呑まれて死んでしまった。それ以来、毎年旧暦の1月24日になると、島民たちに騙されたことを怨む忠松の霊が、海難法師となって島々を巡るのだという。
別伝では代官を殺そうとしたまでは同じだが、村の若者25人が暴風雨の夜にそれを決行し、船で逃亡した。
しかし、かくまってくれる島や村はなく、さまよった挙句、1月24日に海難事故で全員が死亡した。
村人に裏切られ、この世に恨みを残して死んだ怨霊が島々を巡るという怨霊伝説になっているが神津島に限っては「二十五日様神事」として闇夜に神職が海からの来訪神を迎え、集落内・辻々の猿田彦神を巡拝する厳格な神事となっている。この25人の霊は日忌様(ひいみさま)と呼ばれ、伝承の発祥地とされる伊豆大島の泉津地区にはこの日忌様の祠が祀られている。
海難法師 – Wikipedia
< 風習 >
伊豆七島では、1月24日は決して外に出てはならず、人々は震えながら家にこもっていなければならないのだという。
その際には門口に籠をかぶせ、雨戸に柊やトベラなどの匂いが香ばしい、魔除けないしは厄を払うとされるような葉を刺し、普段は外にある便器も屋内に置いて、または瓶や甕などの空き容器を使用して用を足した。
便所などのためにどうしても外出しなければならないときは、頭にトベラの葉をつけた、あるいは袋を被って風景(特に海)を見ないように移動した、という。
この戸などに刺したトベラは翌日に燃やし、そのときに激しい音がして膨れるとその年は豊作になるといわれた。ある者がこの伝承を小馬鹿にし、戸締りをせずに外出したところ、なぜか顔中血まみれになって帰ってきたという。
また同様にこの迷信を信じない者が、家の戸に差したトベラを捨てて戸を開けたところ、なぜかその者は口がきけなくなり、精神病院に入院してしまったといわれる。また伊豆大島の泉津地区では、門井という旧家が海難法師の25人の霊を迎え入れる役目を持ち、その役を受け継いだ者は1月24日にただ1人浜辺に座り、波風に夜通し晒されつつ、霊たちの帰りを待ち続けるという。
伊豆七島では1月24日は物忌みの日であり、人々は仕事を休んで家にこもる風習があったが、それが何者かが襲ってくる日という意味にとられ、海難法師の伝承が生まれたとの説もある。
三宅島では、『皿出せ 土器を出せ それがなきゃ人間の子を出せ』と言いながら海難法師が海から上がり家々を周ると伝わる。そのため1月24日の夜は玄関先に皿を置き、子供達を早く寝かし付ける風習があった。
海難法師 – Wikipedia
八丈島の海難法師は、八丈代官を殺した島民25名が船で島を出て、利島や御蔵島へ行き匿ってくれるようお願いしたがどの島でも拒否され、海の彼方へ船を漕いでいった。やがて旧暦の1月に彼らの亡霊が帰ってくる、というもの。
— 幣束 (@goshuinchou) December 23, 2016
伊豆大島や新島でも自分の島で起こった事として記されている。 pic.twitter.com/JJX04krlrn
「1月24日の夜には海を絶対に見てはいけない」/ あとがき
伊豆大島の泉津(せんず)には「1月24日の夜には海を絶対に見てはいけない」と言う伝説がある。
私は、このような伝説があるなんて全然知りませんでした。
同じ日本でも、知らないことがまだまだあるんですね。
見知らぬ土地に行くときは、その土地の風習などを事前に調べて行かなければいけませんね。
のんきに旅行に行って、そんな日に当たったら嫌ですもんね。
私が思うに、その伝説が嘘か真実なのか?はどうでもよく、そのようなことには関わりたくない、関わらない方がいいというのが、よそ者のマナーであり、身を守る術だと思いますので、旅行に行く際は気をつけたいと思います。
そもそも、世の中にはその土地に住んでいないと分からないことって多いですよね。
ネットには出ていないが、近所の人に密かに恐れられている場所や風習などが、もしかしたらあるかもしれません。
会社に例えると、あるトイレの一番奥の個室は水の流れが極端に悪く、すぐに詰まってしまうので知ってる人は絶対にう○こはしないが、新人さんは知らずに入ってしまい、案の定つまって追い詰められると言う(実話)…笑。(※失礼しました😅)
そういうこともあるかもしれないので、知らない土地に行くときは気をつけた方がいいですね!
そもそも伝説というのは、何百年も前から守られていた風習であり、それを犯すのはよっぽど怖いのではなかろうかと思う。
もしそのきっかけが、たった一人の気まぐれだったとしても、それが根付いてしまった以上それを犯すにはそれ相当の覚悟がいるのではないかと思う。
完全に根付いた風習や伝説はもはや、嘘か真かは関係なく、禁忌を犯すことそのものが恐ろしいのである。
それはある意味、怖いことでもある。
誰も傷つけない風習ならばいいのですが、その習慣が人種差別や人柱、生贄など、忌まわしいものであった場合、いつか誰かが止めなければいけないが、それを変えるのが難しいということも予想できる。それはとても恐ろしいことだとちょっと怖くなりました。。
それは会社でも社会でも、同じかもしれませんね、組織の悪い癖ってなかなか直せないですもんね…。
伊豆大島に伝わる奇習・日忌様とは? 「1月24日の夜は海を見てはいけない」 | ニコニコニュース
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